2020年12月31日木曜日

渦中にいると見えないことも多いけど


誰にでも「あったかもしれない別の人生」があって、別次元で、分岐した別の世界線の人生が無数に続いているのかなと想像したりするのだけど。

2020年ほど、世界中の人が「あったかもしれない別の人生」に想いを馳せた年もないだろうなと思う。

コロナウイルスが蔓延しなかった世界。開催された東京オリンピック。あったはずの結婚式。なかったはずの葬式。死ななかった人たち。

スケールが壮大すぎて語彙力がたりないけど、生きているうちにこんな経験をすることが、本当にあるのだと思った。今も思ってる。


正直に言ってしまえば、私はたまたま健康的な30代で、子どももいないし、私も家族もコロナの影響をそれほど受けない職業で。

もちろん罹患して重症化しないなんて保証はないけど、コロナ禍においても、それほど憂いなく生きられていて、恵まれた立場だという自覚がある。

実は当初、「小さい子は重症化しにくく、老人が重症化しやすいウイルスだ」と報道された時に、このパンデミックによって、日本の歪な人口構造が是正されて、文字通りの新時代に突入するのでは、なんて身勝手な想像を抱きもした。

去年観た映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』のエピローグ、ゴジラによる破壊のあとに環境汚染が急激に収束してという描写があって、そんな都合のいい展開あるか!とツッコんでいたのだが、いざ自分が大きな災厄に居合わせたら、私も都合のいいメッセージを読み取ろうとしていたみたい。

そうやって自分側に引き寄せて考えることで、心の安寧を保とうとしていたんだろうな。己の小ささを思い知った。

ウイルスに宇宙の意思などはない。人間はただ与えられた条件の中で淡々と生きるしかない。


とはいえwithコロナによって世の中が変化しているのも事実で、たとえば勤め先は4月以降テレワークが基本となり、もしコロナの流行が収束したとしても、その方針は変わらないとのこと。

働き方改革とみんな叫んでいても遅々として進まなかったのに、変わるときはガラリと変わるのが、もはや痛快ですらある。


個人的にもテレワークは歓迎で、家と職場は近いほうだけど、それでも通勤の手間がなくなるとこんなに気が楽だとは!と日々感じている。

一方で、たまに同僚と顔を合わせると話がはずむしアイデアも生まれるから、どっちかだけが正解ということではなく、使い分けることが大事。そりゃそうでしょって感じだけど、実際のところを知ってると知らないのとでは、まったく違うから。

夫も完全テレワークなので、まさに四六時中顔を突き合わせている状態で、さすがに1LDKは狭いと思いつつも、割りかし上手くやっとります。

夫婦は人生のパートナーって頭ではわかっていたけど、生命の危機を初めてリアルに感じるなかで、本当に2人きりで生きていると、ああこういうことか、って思った。


ちなみに私、若い頃から生理不順気味で、4週のときもあれば6週のときもあり、ストレスがダイレクトに影響するタイプだったのですが、5月以降きっちり毎月4週周期になっていたのは驚きでした。これはステイホームの副産物のような気がする。

悪い面では、アレルギー性鼻炎が悪化している感覚がある。ハウスダストにめっぽう弱くて、密閉性の高い狭い家にずっといるからかな、と推察しているのだけど、どうなのだろうか。


仕事は割と結果が出せた年だった。個人名でも、雑誌のカルチャー記事にコメント寄せる仕事ができたり、ツイッターでPR案件(商品をもらう代わりに感想を書く)を5件もやらせてもらえたり、少しずつ実績を積んでいる。

プライベートでは、2月にバンコクに行けた。すでにコロナ流行のきざしがあったけど、無理くりにでも行って本当によかった。

映画は全然見られなかったけど、本は久しぶりにたくさん読めた。

去年18万字の長編小説を完結させて、付随する番外編も今年いよいよ書き終わって、次の作品に着手したいけど、現代物を書くならコロナを避けて通れない気がして、なかなか構想がまとまらずにいる。


私の2020年振り返りは、とりあえずこんなところです。

1年後、10年後、この日記を読み返したときにどんな気持ちになるのかな。まったくわからないけど、2020年を生き延びたことは、きっと一生語り合うだろう。


今年もありがとうございました。

皆さまの迎える新年が、よりよいものでありますように。