2019年3月31日日曜日

アタック25出演記Part3 席の色の話~直前の対策まで

引き続き対策の話。
12月のうちはまだ先の話だと思っていた収録も、正月休みを過ぎればもう目前。
番組の雰囲気に慣れるために、Youtubeなどで過去の放送を見るようにしました。
アタック25はクイズ番組ではありますが、ご存じのとおりパネルの取り方も重要になってきます。放送を見ながら、「自分ならどこを取るか」「いい取り方・悪い取り方とは」を意識するようにしました。
また、夫が割とオセロが得意なので、おすすめのサイトを教えてもらって勉強しました。ごく初歩的な話ですが、相手に角を取らせやすくするパネルを取らないこと(正解がわかっても、あえて答えないという選択肢もある)、「スプリット」といって、同じ色のパネルに挟まれた箇所に入るワザなどを確認。本番時、割と的確にパネルを取ることができたのですが、予習していたので落ち着いて臨めたのだと思います。

クイズの勉強に関しては、どちらかというと定番問題に取り組んでいたのですが、実際に放送を見ると、時事問題の比率が高くて。
慌てて去年のM-1優勝者、トランプ大統領の内閣、最近話題になったスポーツ選手(吉田沙保里や水谷準)、ラグビーワールドカップなどの時事問題系をチェックしました。
必ず出る映画問題は、当初は『七つの会議』が出るのでは?と思っていましたが、よく考えたらこれはTBS系! アタック25は朝日放送なのでたぶん出ない! と考え直し、司会の谷原章介さんが日本語吹き替えをやってる『メリー・ポピンズ リターンズ』にあたりをつけました(結果的に当たっていたんですが、本番では一歩遅れて答えられなかった)。

ちなみに座る席の色は、事前に連絡がきます。私は青。
父が白、母が赤だったので、緑か青のどちらかかなら、強いイメージのある青がいいなと思っていたので嬉しかった。余談ですが、父のときも母のときも、優勝したのは青の人だったので、余計に運命的なものを感じました。
当日の格好は、「席の色と被らないように」という指定があります(色が同化するのを避けるため)。ということで青の服はNG。

衣装は、1週間前に買いに行きました。同行をお願いしたのは、おしゃれ番長のHrkさん!
・顔写りがよい服
・おしゃれで知的な感じに見せたい。できればブラウス
というテーマで探しました。見栄っ張りなので、デキる編集者っぽい見た目に仕上げたくて…(結局放映時には、出版社勤務であることは出なかったのですが)。
丸の内~有楽町のショップをハシゴして、IENAでミントグリーンのブラウスと、バイカラーのフラットシューズを購入。ちょうど予算きっかりの3万円でした。靴なんて放送中はほとんど映らないのに?と思われるかもしれませんが、こういうのは気分の問題なので!
収録前に集合写真を撮り、それが番組公式Twitterなどで使われるのですが、全身写っていたので靴買っといて正解でした。
アクセサリーは、CHANELのフェイクパールの大ぶりイヤリングに。これは亡くなった伯母の遺品で、正月に帰省して家を片づけていたときに出てきたもの。存在感があるのにすごく軽くてとても気に入りました。生きていたらきっと応援に駆け付けてくれただろう伯母なので、このイヤリングがつけられてよかった。
あと私は眉毛を描くのが下手なので、眉毛専門サロンに駆け込んで整えてもらうなどした。左右の眉毛の生え方の違いを指摘してもらって、どういうふうに描きたせばいいかを教わって大変勉強になりました。

あと、前回紹介したクイズアプリ「みんはや」がなぜか会社の同僚や後輩にも流行って、練習も兼ねて一緒にやっていました。
同期(男子)が結構強くて、たぶんレベルだけで言えば同じくらいだったのですが、後輩から「●●さんもクイズ強いですよね~」的に言われたとき「いや、あいつには負けない! だってパッションが違うもん!」って瞬間的に返事してしまった。
「パッション!?」って笑われたんだけど、おもしろいことを言ったつもりはまったくなくて、心からそう思っていたんですよ。
クイズに勝つうえで、知識の有無は当然大事なんだけど、最後はどれだけ本気を賭けているかがいちばん重要だと素で思っていたし、今もそう思っている。勝ちたい、ダメかも、いいや勝つ!っていう気持ちが渦巻いていた準備期間でした。

長くなってすみません。次回、いよいよ本番の話を書きます!

2019年2月26日火曜日

アタック25出演記Part2 出演決定~対策

アタック25の予選通過のハガキが来たわけですが、これがゴールというわけではもちろんなく。
この予選通過のハガキが意味するのは、1年間の出場権。アタック25は毎回「30代大会」「学校の先生大会」など、テーマが決められています。そのテーマに沿って人が呼ばれるため、合格しても、必ず出演できるとは限らないのです。
逆に言えば、いつ連絡がきてもおかしくないということ。

クイズの勉強を続けておかないとなと思っていた12月のある夜、市外局番06の電話番号から着信が。
ちょうどATMでお金をおろしているときで、「え~大阪? 誰?」と思ったのですが、向こうの人が喋り始めた瞬間「あ、これは!!」と確信したのを覚えています。
収録は1月下旬、放送日は2月3日。テーマは「(身内の)リベンジ大会」。
リ ベ ン ジ 大 会 !
じつはこのテーマで来るんじゃないかと思っていました。面接したときに食いつきがよかったし、私が制作陣でもそういう切り口を検討するだろうなと。予感が現実になった。

収録は木曜なので、有休をとる必要があります。それもあって会社の人たちにも早めに伝えたら、上司に「えっ、アタック25って、誰がどうやって応募するの?」と素で聞かれたんだけど、ジャニーズじゃねえんだから、自分で応募したに決まってるだろ!と内心ツッコんだ。
また別の同僚にも「いったい何を目指してるの!?」と驚かれたけど、そんなの簡単で。
私はただ、自分の目指す女になりたいだけ。クイズが強くて、うっかりアタック25に出ちゃうタイプのイケてる女になりたいだけ。
これ、今だから言うのではなく、実際出場が決まったときに友達に伝えたんですけど、人生のどこかでアタック25に出場することは、自分ではずっとわかっていました。
だってそこそこやる気と実力があって、それなりの受け答えができる女性(合格者の人数比の点で、アタック25は相対的に女性のほうが出場できやすい)で、さらに両親がそれぞれ出場してるというアドバンテージがある。
だからこそ、もし出るからには自分の準備が整ったタイミングで満を持して出たいなと思っていた。ずっと応募する勇気がなくて、先延ばしにしてたけど、この夏にふと「どうせ出るなら若いうちのほうがいいな」って、公式サイトで応募したのがすべての始まり。
だからあとは、本番までにいかに仕上げて臨むかということだけで。
ちなみに友達は、そんなことを真顔で話す私に対して「こいつ大丈夫か?」と思っていたそうです(そりゃそうだ)。

対策に関しては、2018年夏にパネル16枚を獲得した女性のブログを参考にしました。
その方はなんと平日は1日2時間も勉強に費やしたそうで、本人も「今思うとやりすぎ」と振り返っていたけど、かなり参考になったのでこの場でお礼を申し上げます。
私はとくに日本の地理に弱いので、まずは中学受験用の社会科の地理問題集を1冊買って読んだ。「中京工業地帯」とか「リマン海流」とかの単語を久しぶりに目にしました。
並行してノートに、クイズでよく出る事柄をまとめていった。
・日本の硬貨と紙幣の材質や柄
・歴代ノーベル賞受賞者
・歴代宇宙飛行士とそのスペースシャトル
・NTTの3ケタ番号サービス
・国際連合や機関の名称と本部のある都市
・2020年東京オリンピックに関する事柄
・スポーツの日本代表チームの愛称
・1989年(平成元年)以降のおもな出来事
などなど。さらにWikipediaを見ながら、各都道府県の地図や特色、山や川、世界遺産などをまとめていく作業もした。これは地味に時間のかかる作業だったので、私が広島出身で東京在住なことから、関東地方と中国地方は後回しにして進めました。

並行して、実践編というということで、「みんはや」というクイズアプリを導入。
ネット対戦できる早押しクイズゲームなのですが、問題が豊富で、強い人も多くて、ハマりまくって最終的には起床時、通勤時、昼休み、帰宅後、入浴中…と、1日で合計2時間くらい費やしていた気がする。こちらのクイズでは、レベル的にはA+とSの間を行ったり来たりしていました。

そしてもうひとつ、本番に向けて始めたこと。それは近所のボクシングジムに通うこと。
2015年、結婚前にダイエットに成功しましたが、その後パーソナルトレーニングに通うのをやめたこともあり、ゆるやかに体重は増えていっていました。そろそろまた運動始めなきゃ…と思っていたところにアタック25が決まり。以前ダイエットした経験上、短期集中でやせるには、私のような怠け者は人の手を借りるしかない! と身に沁みていたので、迷う暇もなく速攻でジムに。
ボクシングなんてド級の初心者ですが、死ぬ気で1日おきに通いました…。
また本番の2週間前に美容院、1週間前に美容鍼に。着々と準備を進めていきます。

夫には「これから本番までは、悪いけどクイズの勉強とジム通いしかしない。家事はできないと思ってほしい!」と宣言。ついでにこの時期、仕事でも思わぬ出世をしてしまって相当バタバタだったのですが、心は完全に大阪の方向を向いていました。

2019年2月14日木曜日

アタック25出演記Part1 予選突破するまで

朝日放送「アタック25」に出演しました。
結果はパネル17枚を獲得して優勝、さらに地中海クルーズをかけた最終問題に正解。
我ながら出来すぎな結果で、まだふわふわ浮き足立っていますが、少しずつ出演記を書いていこうと思います。

まずアタック25に出場する方法ですが、番組の公式サイトから予選会にエントリーします。そこから抽選で、その地域の予選会に参加できるかどうかが決まる。
私が応募したのが、2018年の8月31日。しばらくたっても案内がこなかったので、抽選外れたかな? と思っていた10月のある金曜夜、家の郵便ポストに「予選会のお知らせ」というハガキが…。
しかも日程を見たら、翌週の土曜日! つまりちょうど1週間しか準備期間がない!
おそらくこれは意図的に1週間にしているんだと思います。対策は付け焼刃程度にしかならない、と。

しかし参加するには絶対に受かるぞ、俺は本気だ…!ということで、次の日にAmazonで『東大クイズ研のすごいクイズ』という本を買って、毎日読みました。
この本はジャンル別に問題が難易度1~5に分かれているのですが、4以上になるとかなり難問だと感じたので、とりあえず3までをしっかり覚えることに。
あと、ネット上のアタック25の過去問サイトを読んで、数年分はさかのぼった気がする。予選会で同じ問題が出るわけではないのですが、「こういう問題が出るんだな」っていう傾向がわかってよかったです。

そんな感じで予選本番。土曜日の朝9時から、試験会場の浜松町に。
大きめの会議室みたいな場所に机と椅子が並んでいて、3人掛け。人数はだいたい60人くらいでしょうか。私が受けたのはいちばん早い時間帯で、この日は4回まわしだったようです。
机には最初から番組ロゴ入りのボールペンが。4色あって、私は白でした。これはお土産として持ち帰れます。
まずプロフィールシートのようなものが配られるので、せっせと記入。職業や過去のクイズ歴、得意ジャンル、自己PRみたいなものを細かく書かされます。
その後ペーパーテスト。
30問を8分で回答します。問題は口外しないようにと言われたので詳しくは書けませんが、一般問題15問、時事問題15問という割合でした。
実際の番組より難しめにつくられており、確かに「うわっ、これは全然わからない」というものもあったのですが、それでも7割は解けた感触がありました。終了後に答えを確認したところ、あてずっぽうのものも2問ほど正解していた。問題自体を思い出せないものもあるので正確な数はわかりませんが、体感では23問くらいいけたかな、という印象です。あとベトナムの世界遺産に関する問題があって、ベトナム大好きマンとしては嬉しかった。

なので採点が終わって合格者が呼ばれるときは、とくに緊張せず。「ああ、自己採点合ってたな」くらいの気持ちでした。ここで通過した人のみ残って、それ以外の人は退室。この回残っていたのは14人だったので、合格ラインは上位4分の1程度でしょうか。
プロデューサーらしき男性2人(本番当日もいらっしゃいました)による面接に移ります。席を移動して7人ずつ2列になり、列ごとに面接して終わったら退室という流れだったので、後列だった私は全員の面接を見ることができました。

男性7割、女性3割くらいだったかな? 年齢は、いちばん若いのが学生さん(東大!)で、上は50代くらいだったと思います。クイズ同好会に属していて、知り合いがすでに出演していますという人もいれば、「なんとなく応募したらここまで残っちゃった」という人もいて、さまざま。
私はもちろん「父親も母親も両方アタック25出演者」という話をしました。「この番組も長いんで、お子さんが応募するケースが最近あるんですよね。でも両親ともには珍しい」という感じの反応。タイムショックの出場歴のこともプロフィールシートに書いていたけど、それについては特に聞かれなかった。
予選通過のハガキがきたのは3週間後。
それなりにちゃんと受け答えできたので、面接も通過するだろうなと思ってはいたけど、日数がたつほどに不安になってきて、夫に「まだハガキこない…ダメだったのかも…」と暗い顔して呟いていたのは秘密です。

2019年1月31日木曜日

とっても大事な告知だよ

サイキッシュを見ている人だけに大事なお知らせ!

2月3日(日)13:25~ 朝日放送
アタック25に出演しま~す!!!!!!!!!

「クイズタイムショック21高校生大会」から16年…
みんな、見てくれよな!

この動画はあとで消すかもだけど、放送後にまたいろいろ書きたいと思います。
Yeahhhhhhhhhhhhh!

2018年12月28日金曜日

伯母の推しメン

ひとつ前のポストにも書いたのですが、この秋、伯母が急逝しました。
67歳。早すぎると言いたいけれど、癌を患っていて、もしかしたら長くないのかもな…とは、薄々感じてはいました。

私が最後に会ったのはお正月の帰省時で、それからどんどん体調が悪くなっていったらしく、地元にいる親や妹は、やせ細っていくのを間近で見ていて。
私はその姿を結局見ることがなかったのだけど、ある意味ではラッキーだったのかもしれない。
両親(伯母の妹が私の母)も、あと1〜2年かな、と感じていたそう。
ただ今回、抗癌剤治療のために入院した矢先に容態が急変、そのまま目を覚ますことなく亡くなってしまって、まさかこんな急展開になるとは誰も予想していなかった。

「本当に危ないかも」という連絡がきたのが、勤労感謝の日の連休初日の午後。
私はたまたま家にいたので、親兄弟と連絡を取りつつ、帰る荷物をまとめて。
いよいよ帰ってこいとなって、東京から一緒に広島に向かう兄のぶんまでスマートEXでチケットを取って、18時前に東京駅で待ち合わせて、18時半の新幹線に乗って、22時半に広島駅に着き、そこからタクシーで病院へ…と怒涛の夜だった。

新幹線に乗っているあいだ、本当に一回は心拍数が下がってダメかも、となったのですが、なんとかもちこたえてくれて、私と兄も、意識はないけれど生きている伯母に会うことができました。
ベタな言い方だけど、待っててくれたんだろうなと思う。
夜が明ける頃、息を引き取りました。

伯母は独身で、祖父はすでになく、祖母は認知症で施設にいて、必然的に母親が喪主を務めることに。
伯母が亡くなって悲しいのはもちろんだけど、それ以上に母が憔悴してしまわないかな、というほうが、そのときの気持ちとしては大きかったです。
7つ離れていたけど仲のいい姉妹で、テンポよくおしゃべりしていた姿が印象的だったから、相当なダメージがあるだろうなと。
母も、「いつか葬る側になるのは覚悟していたけど、できれば先に母(認知症の祖母)、姉(伯母)の順であってほしかった」と話していました。

伯母の生前の希望もあり、ごくわずかな身内だけで、静かにお通夜・葬儀を営みました。変な話なんだけど、この間、ずっとお腹がすいていて、なんかいくらでも食べていられる感じだった。兄も同じことを言っていた。
これ、3.11のときもそうだったんですよ。食べたはずなのにおなかがすく…っていう。分析するに、生命の危機みたいなものに直面したとき、なんかの生存本能が働いてるんじゃないかなという気がする。

年内に四十九日の法要を済ませて、伯母の死に関するひととおりの作業は終わり。でもまだ実感がないし、本当に死がしみ込むのはもっと先のことになるんじゃないかと思う。
伯母のいないお正月やお盆を過ごして、その不在の大きさがわかるんだろうと思う。

伯母は私たち三兄妹のことを本当に溺愛してくれた人でした。それこそ、ときには親の代わりに叱ったりもしてくれた。
家(母の実家)も同じ市内で、土日はしょっちゅう会っていたし、学生時代は通学路の途中だったので、私は学校帰りに遊びに寄るのも好きだった。
うちの両親は資格系の自営業で、あんまりサラリーマンの生態をわかっていない人たちなのですが、伯母は大手商社を定年まで勤め上げた人で、就職活動のときなんかもずいぶん相談に乗ってもらいました。
両親以外に、そういう頼れる身内がいるというのは、私たち子ども世代にとってはとても大切なことだったように感じます。

私はつねづね、実際の甥っ子たちに対してはもちろん、世界に対して「なんか面白くて、飄々としてて、存在自体が楽しいおばさん」でいたいなって思っているんだけど、それはまさに伯母が私たちにやってくれたことそのものなんだよね。
今後私に子どもができるかどうかはわからないけど、いてもいなくても、そういう存在でありたい。

ちなみに伯母の病室を片づけているときに、ふとガラケーを開いたら、待受画面が私の結婚式の写真で、見たときマジで「反則だろ!」って思いました。
別に私だけを贔屓していたというわけではなく、兄や妹のことも等しく可愛がっていた伯母だけど、よく私のことを「ポジティブで面白い姪」だと評してくれていたので、伯母がもし、携帯電話を開くたびに、私の姿を見てなにかいい気持ちになっていたのだとしたら、それ以上にできる恩返しはないなって思いました。
というか、本当に、たぶん幸せに生きることだけが伯母にできる恩返しだなと思うし、私は生きているだけで、伯母に「推されて」いたんだなあってつくづく感じた。
無条件に推されるって、もう人生でこれ以上は経験できないことで。
前からわかってはいたけど、今回の伯母の死によって、途方もない愛を注がれてきたんだなあってはっきりと理解した。

ちょうど36歳差、同じ寅年の私の伯母さん。
可愛がってくれてありがとうって、本当に今は、それだけです。

2018年12月17日月曜日

神様の年末調整

この2018年秋から冬にかけて、なんだかものすごく怒涛の日々を送っております。
具体的には

・アメリカ旅行(超楽しかった……)
・アタック25の予選を通過した
・仲良しの伯母が急逝した
・出世した

なんか変なのも混ざってますが、書いたとおりのことがバンバン起きている。
余裕を見つけてブログにしたいのだけど、なかなか慌ただしくて。

出世については、いずれは来るかな〜と思ってたけど、もう少し先のことだと思ってた。
ポスト自体が新設のもので、チームやプロジェクトの方向性とかをいちから決めていく必要があって。
12月から実際ポストに就いたのですが、いろんな可能性を試せる楽しさと、そのぶんの責任感と、マネジメントとかできんの?って気待ちで、毎日ヒェーッてなってます。

さらにずっと書いてる小説もいよいよ佳境で、毎月1万字とか書いてるわけで……まあそれは知らんがなって感じだな。

ついでに今日、仕事でとあるイベントに行ったら、元彼と出くわしてたまげた。
近い業界なのですが、微妙にジャンルが被ってないので、偶然出会ったのは初めて。
年末の忙しい時期にこういうサプライズがくるあたり、なんか神様の年末調整って感じがします。

クリスマス過ぎたあたりで、年内もう一回更新予定です!

2018年9月8日土曜日

MY FIRST AMERICA

先日ホーチミン旅行記を書き終えたばかりですが、じつは今月下旬、アメリカ旅行に行ってきます。
初! アメリカ!
しかも行き先はアトランタ&ニューオーリンズ。初めてにしては渋いデスティネーションだなあと思います。
夫の友人にして、我々夫婦が出会った合コンに居合わせた男(当時すでに既婚者のクソ野郎)が1年前からアトランタに駐在していて、行きたいねーとは言っていて。
ただ夫は海外旅行が全然好きじゃない(そもそも国内旅行も好きじゃない)タイプなので、なかなか現実味がありませんでした。
でも今年は私の会社勤続10年の年でもあり、行くなら今しかないな! と話を詰めていたら、アトランタ2泊、そこから足を延ばして(これは私の希望が通った)ニューオーリンズ3泊の、合計5泊7日が本当に決まって、まだちょっと夢のようです。

ハワイもニューヨークもLAも行ったことないのに、最初のアメリカがTHE南部なの、我ながらびっくり。
アトランタは成田発のデルタ航空の直行便で。アトランタは南部の経済都市だけあって、結構日本企業の駐在員が多いんですよね。
ただアトランタそのものはあまり観光する場所がなくて、せっかくなら滅多に行けない場所に足を運びたいなと。
マイアミやシカゴも捨てがたかったけど、ジョン・ファブロー監督&主演の映画『シェフ』で、主人公が息子に向かって「ニューオーリンズは本当に最高なんだ」的なことを話しているのを見て以来、とても気になっていたNOLA(ニューオーリンズ)に決定!
ルイジアナ州の最大の都市にして、ミシシッピ川の河口に位置し、ジャズの本場として有名な場所ですね。
地名の「オーリーンズ」はフランス語の「オルレアンズ」であり、もとはフランス領の州都。さらにスペイン文化も色濃く、コロニアル建築、歴史、音楽、おいしい酒と料理、大きい河の街ときたら、私が心惹かれないわけがないのであった。
あまり治安がよくないエリアというのだけがやや心配だけど、ニューオーリンズではテキサス駐在中の別の私の友だち夫婦と合流して、サービスアパートメントに一緒に泊まることになっているので、普通の旅行に比べるとかなり気がラクです。

旅程が決まって以来、まーた準備にワクワクといそしんでいるわけですが、洋服のインスピレーションは白、赤、デニム、黄色、緑、紫、茶色といったカラー。
普段はモノトーン、紺、青を着ることが多いので、全然違うカラーパレットなのですが、不思議と自然に「こういう色の服を着ていきたい」と思って。
ニューヨークならモノトーン系を中心にすると思うんだけど、やっぱり南部は日差しの強さに合う色の服を着たいなって思ったんですよね。さらにLAとかとも違って、もっと土着的な色が着たい。行ったこともないのにそういうふうに感じるの、とても面白なーと思います。

ちなみに、泊まりたい! とギリギリまで迷ったのがポンチャートレインホテル
ルイジアナ州南東部に位置する大きな汽水湖・ポンチャートレイン湖の名を冠した1927年創業の由緒正しいホテルです。
レトロな構えがたまりません。
メインの観光地から少し離れたガーデンディストリクトに位置していて、治安のこともあって宿泊は諦めてしまったんだけど、市内電車の停留所の目の前だし、もし2度目にニューオーリンズに行くことがあれば(気が早い)絶対に泊まりたい! 
薬瓶が並んだガラス棚って、なんでこんなに魅力的なんでしょう?

今回の旅でも、せめて夜はやめの時間にルーフトップバーで一杯やりたいな。
9月21日から行ってきます。帰ったらまたご報告しますので、よろしくどうぞ。