2025年6月28日土曜日

書けてよかった

fc2webの SAICISH消滅直前のせいか、執筆がはかどる…
311の直後と、伯母が危篤のときのことを思い出す。生物としての危機を感じるときほど妙に食欲が増したものでした。
ということは、サイトが消滅するということは、自分の文章の命の消滅の危機なのか。同じラインで比べるものじゃないとは思いつつ、なんかそんなことを考えてしまいます。

私はこのサイコ名義のSAICISHのほかに、別名義(ガから始まる名前)のツイッター、note、Voicy、その名義で参加しているウェブマガジン、さらに別名義(佐から始まる名前)の「小説家になろう」を主に運営しています。プラス、小説家になろうと同じ名義で漫画原作もやっていて。
ガ~名義と佐~名義のつながりは隠してはおらず、リンクとかは張っていないけど検索すれば「小説家になろう」のページもすぐわかるので、本当に独立しているのはこのサイコ名義だけかな。
ここのつなげ具合について、あんまりはっきり書いてこなかったけど、たまたま検索とかして気づく人は気づくだろうし、それは仕方ない(というかそこまで見てくれて嬉しい)。でもツイッターは大多数が見すぎているし仕事の知り合いも多いので、そこにプライベートのサイコをわざわざ接続する必要はない、という気持ちでやっています。

数えてみたら、14歳、2000年からインターネットに文章を発信し続けているので、今年2025年がまさに25周年、四半世紀なんですよね。
私の寿命が85歳としても、最初の14年と79歳~85歳の6年(PC打てなくなるかもという前提)を引くと60年分のうちの25年なので、半分近くは過ぎたことになる。しかも、一般的に書き盛り(そんな言葉ないけど)の若い時代が過ぎた。

この1週間SAICISHの原稿整理をして、膨大なアーカイブにまつわる思い出に浸っていたところ、本当にたまたまなんですが、フィクションの創作物に関するフィードバックも立て続けに2つあって。

ひとつは、土曜にミッチーのワンマンショーで。おなじみ、マッチーさんと一緒に渋谷の会場に参加していたのですが、ライブで久しぶりにとある懐かしい曲(ネタバレになるので書きませんが、セカンドアルバム『嘘とロマン』の重要曲)をやったんですよね。
帰宅後にマッチーから「サイコちゃんが原作を書いてる漫画のキャラクターを想像しながら聴いていたよ」と連絡をもらって。しかもそのキャラクター、主人公ではなく、ヒーロー(男)とライバル役(女)だったんです。
私もライブで演奏を聴きながら、別の曲や小説を連想することはよくするけど、実際に自分が書いた作品が、しかもミッチーのワンマンショーで連想してもらえるなんて思ってもみなくて。
あと、私は作者なので、当て馬役であるライバルの女の子についても思い入れがあるのですが、今のところ意地悪な恋敵なので、一般的にはそんなに歓迎されないキャラクターです。今後いいところを出していくつもりですが、まだ予兆しか出していないので、この段階でマッチーがそうやって物語の機微を汲み取って、ミッチーの大事な曲とつなげてくれたことに、純粋に感動してしまいました(そもそも最新話まで課金して読んでくれてほんまにありがとう…)。

もうひとつ、私が小説家になろうで2011年に書いた「キセル」という中編小説があります。手ごたえのあった作品で気に入っていますが、結構地味な話でもあり、なんといってももう15年近く前の作品なので、今更新規で読んでもらうのはあまり期待できない状況…だったのですが、今週いきなり感想がついてたんですよ。
小説家になろうに投稿したことがある人はわかると思いますが、何の気なしにMYページを開いて、「書かれた感想があります」の赤い文字が目に飛び込んでくると、本当にびっくりするよ!
読むと、とっても真摯で嬉しい感想が書かれていて、めちゃくちゃ嬉しい&感慨深くなりました。
「キセル」は三部作の2番目で、3番目の作品をずーっと書けずにいるんだけど、そろそろ本腰入れて書こうかなと考えだしていたタイミングだったので、その引き合わせに勝手に霊感を見出したりもした。

そんなことが続いたので、ああ私、書けてよかった、書き続けてよかったと改めて感じ入っています。
言葉っていちばんシンプルな伝達手段であり、この記事だってメモ帳に保存したらたぶん2KBとかでしょ? 音声や動画ならこうはいかない。
言葉、文章の実態の薄さみたいなものを寄る辺ないと感じることもあるけど、それが同時に強さでもあり。遠い昔に書いたものでも、漫画原作という形で変形してアウトプットしたものでも、言葉が誰かの心に届く。本当にかけがえのないことだと思います。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、私自身の生きる力になる。

前も書いたけど、私はやっぱり常になにか書いて発信していたいし、それはもう好きとかじゃなくて呼吸に近いもの、自分が天から与えられた属性だと思っている。
もっとうまくなりたい、もっと読み手を喜ばせたいみたいな気持ちも当然ありつつ、言ってしまえば本当に自分が生きることと不可分だからやっている。
SAICISHというサイトの形がいったんなくなることは残念だけど(記事の転載どこまでやれるか…あまり期待せずにお待ちください)、私必ずどこかで書いて発信しているので、ラジオの周波数を合わせるみたいに、何度でも出会ってください。よろしくお願いします。