あけましておめでとうございます。
本当は、前回の続きで、パーッと明るい告知をしたかったけど、その前にどうしても書くべきことができたから、書くね。
数日前、友達を亡くしました。
書きづらいけど、死因は自死です。
40歳を前に彼女は亡くなりました。
年に1~2回くらい会う友達で、超仲良しかと言われればそうじゃない、でも遡れば12年くらいの付き合いで、お互いの家に行き来もしてたし、信用できる存在で、分かり合えてるなって感じる瞬間がちょこちょこあった。なによりも、サイキッシュが元で知り合った人でした。
もとはMichelle Branch「Hotel Paper」のレビューを検索して、サイキッシュにたどりついてくれて。今はもう彼女のはてなダイアリーは見られないのだけど、そのとき書いてくれた内容が嬉しすぎて、正確な文章は忘れてしまったけど、ニュアンスはずっと覚えています。
"なんだか腑に落ちることばかり書いているなあと思っていたら、年下ということが判明して。そのクレバーさに愕然としながらも、悪い愕然ではなく、こういう人がいることが嬉しかった”
というようなことを書いてくれていて。
そのときメールで返事をしたはずが、なぜか届いてなくて。でもその数年後に、ツイッターでたまたまやりとりして、「あのときのあの人ですよね!?」となって、2011年6月に御茶ノ水で会ったのが付き合いの始まり。
それからSNSでつながり、定期的に会うようになり、フジロック常連組だったので現地では必ず会っていて、コロナ禍でも出産前の2021年6月にアフタヌーンティーして、その後は会えてなかったけど、出産祝いもくれたし、ちょこちょことやり取りしていたので、今は本当に、死が現実と思えなくて、ただ呆けている、そんな状態です。
一方で、確かに、これまでの彼女の言動を考えると、長生きしたくない、生きることに納得していない人だというのは感じていて。会っているときに言い分をまくしたてるような人ではけっしてなかったけど、彼女のツイッターやブログを読む限り、ずっとそういうことを抱いて生きている人なのはわかっていました。
今回、自分で死を選んで、遺書的なメッセージも残されていて、それを読むと、衝動的なことではなく、いろいろと考えた結果だったことは、よくわかります。
おそらく家族あて、友人・知人あてのメッセージがそれぞれ用意されていて、ご遺族がSNSアカウントにログインする手立てもしていたようで、かなり綿密な計画だったのだろうと。
死ぬってかなり大変なことだと思う。それを誰にも悟られずに、一発でやり遂げたことに対して、なんなら、よくやったな、すごいな、やりおったな、とすら感じている部分もあります。
人生って自分の精神と体を使った実験みたいなものだと思う。彼女は40年近い人生で、ずっと試行錯誤した結果、死ぬ以上にいいことはないという結論が出て、それを実現したんだと思います。そのことは、本当によかったと思う。
でも一方で、大切な友達を亡くして、すごくさみしい。
彼女が考え抜いたうえで選んだ結論を支持したい。でもこの「すごいじゃん!」とか「どういうふうに準備したの?」とか、そんな答え合わせをしたかった。死ぬという最大のサプライズ、やりっぱなしじゃつまんないじゃん、一緒に話そうよ……なんて、無理なのに思ってしまう。
今はなき新宿三越のジュンク堂で開催された、雨宮まみさんの初期のサイン会に誘ってくれたね。壊される前のホテルオークラのプールにも一緒に行ったし、リノベーションに興味があって、お互いの家にも行き来した。
もう二度と会えなくても、ときどき「元気?やってる?」「やってるよー」なんてやりとりできたらいいのに。わかっているけど、それができないのが、死ぬということなのが、改めてつらすぎます。
明日、お別れの会が開催されるので、行ってきます。死に顔を見たら、またきっと思うことがあるかな。
ああ、きっと死ぬことは絶対に止められなかっただろうけど、それでも死ぬ前に話したかったな。
眠ることがなにより好きだった人に。どうぞ、ぐっすり、いつまでも寝てね。