アタック25の予選通過のハガキが来たわけですが、これがゴールというわけではもちろんなく。
この予選通過のハガキが意味するのは、1年間の出場権。アタック25は毎回「30代大会」「学校の先生大会」など、テーマが決められています。そのテーマに沿って人が呼ばれるため、合格しても、必ず出演できるとは限らないのです。
逆に言えば、いつ連絡がきてもおかしくないということ。
クイズの勉強を続けておかないとなと思っていた12月のある夜、市外局番06の電話番号から着信が。
ちょうどATMでお金をおろしているときで、「え~大阪? 誰?」と思ったのですが、向こうの人が喋り始めた瞬間「あ、これは!!」と確信したのを覚えています。
収録は1月下旬、放送日は2月3日。テーマは「(身内の)リベンジ大会」。
リ ベ ン ジ 大 会 !
じつはこのテーマで来るんじゃないかと思っていました。面接したときに食いつきがよかったし、私が制作陣でもそういう切り口を検討するだろうなと。予感が現実になった。
収録は木曜なので、有休をとる必要があります。それもあって会社の人たちにも早めに伝えたら、上司に「えっ、アタック25って、誰がどうやって応募するの?」と素で聞かれたんだけど、ジャニーズじゃねえんだから、自分で応募したに決まってるだろ!と内心ツッコんだ。
また別の同僚にも「いったい何を目指してるの!?」と驚かれたけど、そんなの簡単で。
私はただ、自分の目指す女になりたいだけ。クイズが強くて、うっかりアタック25に出ちゃうタイプのイケてる女になりたいだけ。
これ、今だから言うのではなく、実際出場が決まったときに友達に伝えたんですけど、人生のどこかでアタック25に出場することは、自分ではずっとわかっていました。
だってそこそこやる気と実力があって、それなりの受け答えができる女性(合格者の人数比の点で、アタック25は相対的に女性のほうが出場できやすい)で、さらに両親がそれぞれ出場してるというアドバンテージがある。
だからこそ、もし出るからには自分の準備が整ったタイミングで満を持して出たいなと思っていた。ずっと応募する勇気がなくて、先延ばしにしてたけど、この夏にふと「どうせ出るなら若いうちのほうがいいな」って、公式サイトで応募したのがすべての始まり。
だからあとは、本番までにいかに仕上げて臨むかということだけで。
ちなみに友達は、そんなことを真顔で話す私に対して「こいつ大丈夫か?」と思っていたそうです(そりゃそうだ)。
対策に関しては、2018年夏にパネル16枚を獲得した女性のブログを参考にしました。
その方はなんと平日は1日2時間も勉強に費やしたそうで、本人も「今思うとやりすぎ」と振り返っていたけど、かなり参考になったのでこの場でお礼を申し上げます。
私はとくに日本の地理に弱いので、まずは中学受験用の社会科の地理問題集を1冊買って読んだ。「中京工業地帯」とか「リマン海流」とかの単語を久しぶりに目にしました。
並行してノートに、クイズでよく出る事柄をまとめていった。
・日本の硬貨と紙幣の材質や柄
・歴代ノーベル賞受賞者
・歴代宇宙飛行士とそのスペースシャトル
・NTTの3ケタ番号サービス
・国際連合や機関の名称と本部のある都市
・2020年東京オリンピックに関する事柄
・スポーツの日本代表チームの愛称
・1989年(平成元年)以降のおもな出来事
などなど。さらにWikipediaを見ながら、各都道府県の地図や特色、山や川、世界遺産などをまとめていく作業もした。これは地味に時間のかかる作業だったので、私が広島出身で東京在住なことから、関東地方と中国地方は後回しにして進めました。
並行して、実践編というということで、「みんはや」というクイズアプリを導入。
ネット対戦できる早押しクイズゲームなのですが、問題が豊富で、強い人も多くて、ハマりまくって最終的には起床時、通勤時、昼休み、帰宅後、入浴中…と、1日で合計2時間くらい費やしていた気がする。こちらのクイズでは、レベル的にはA+とSの間を行ったり来たりしていました。
そしてもうひとつ、本番に向けて始めたこと。それは近所のボクシングジムに通うこと。
2015年、結婚前にダイエットに成功しましたが、その後パーソナルトレーニングに通うのをやめたこともあり、ゆるやかに体重は増えていっていました。そろそろまた運動始めなきゃ…と思っていたところにアタック25が決まり。以前ダイエットした経験上、短期集中でやせるには、私のような怠け者は人の手を借りるしかない! と身に沁みていたので、迷う暇もなく速攻でジムに。
ボクシングなんてド級の初心者ですが、死ぬ気で1日おきに通いました…。
また本番の2週間前に美容院、1週間前に美容鍼に。着々と準備を進めていきます。
夫には「これから本番までは、悪いけどクイズの勉強とジム通いしかしない。家事はできないと思ってほしい!」と宣言。ついでにこの時期、仕事でも思わぬ出世をしてしまって相当バタバタだったのですが、心は完全に大阪の方向を向いていました。