2011年3月12日土曜日

一番長い週末(2)

ツイッターで他の人の状況を確認したあと、いつでも逃げられる格好に着替える。
親に無事だったと連絡しなきゃ!と思うものの、ケータイを使うのは憚られたので
とりあえずPCメール。これが14時52分。
ふたがあいて中身がたれたラー油などの応急処置をしたあと、
軽い化粧をして、最低限の化粧水等をポーチに詰めて持ち出し可能な状態にし、防災キットと一緒にPCデスクの下へ。
実はこの防災キット、21歳の誕生日のときに彼氏にねだってプレゼントしてもらったもので
当時友達には「もっと可愛いものもらえよ!」と言われてたけど、まさかこんなふうに存在感を発揮するとは。
NHKを見ると、予想以上にかなり深刻な模様・・・
改めて親に電話するもケータイがつながらないので、IP電話から親の事務所に電話。
IP→固定電話なので、今度はすぐに繋がりました。
14時58分。
しかし、親は地震が起きたことを知らなかった!
この間、常にゆらゆらと余震。

その後は、外に出ず家にいたほうがいいということで、物を片付け
(キッチンに置いていたはずのスパイスが玄関まで転がっていた)、PCに張り付いてツイッターを追う態勢に。
念のためベランダの窓を開けていたので寒く、室内なのにコートを着ていました。
近所の犬がずっと吠えていた。
15時15分頃にもかなり大きい余震が。
半泣きだぜ・・・
会社に電話するも連絡つながらず、ツイッター上で会社にいるらしい先輩にリプライを飛ばしてみたり。
16時前くらいから、NHKで流れている火災や津波が、ますます深刻なものに。
宮城県を襲った黒い渦のような津波、リアルタイムで見ていましたが、信じられなかった。
黒い触手が伸びるように、町を呑み込んでいく。

仕事相手何人かとメールで連絡取り合うも、JR終日ストップの報が出たので出社断念。
夕方過ぎには、すでに「首都圏帰宅難民」の報が出ていました。
18時過ぎに近所のスーパーに出かけましたが、うちの周りはあまり大きな混乱はなし。
比較的年齢層の高い住宅街なのと、東京の中では地盤が固めの地域だからか?
パン、肉、米、野菜をひととおり買ったのだけど、このときパンをもっと買うべきだった。
うちから徒歩1時間強のところに会社がある華月ちゃんと連絡を取り、電車がなくなった彼女を収容することに。
マンションのガスメーターを操作して、ガス復活。隣に住んでる大学生にも声をかけて一緒に。
別に普段付き合いはないんだけど、挨拶するくらいの仲をつくっておいてよかった・・・